江戸時代に渡来植物?

2017年7月1日 第7回目の授業                   初回はこちら

【講義】江戸園芸文化史       

講師:園芸文化協会 理事 椎名和美 先生

 

夏です。暑いです。でも、そんな暑さにも負けず、受講生たちは盆栽アカデミーが楽しみで毎回通っています。今日は先週の盆栽の歴史の中でも、日本で様々な園芸文化が一気に花開いた江戸時代のお話しです。

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先生は、重鎮の椎名先生。もう立ち姿が粋な江戸っ子みたいです。(ご出身は存じておりませんので、勝手なイメージですみません)

テキストやスライドには貴重な資料がふんだんに盛り込まれているのですが、もったいつけているわけではなく、著作権の問題もあるので、ここでは掲載いたしません。

 

 【日本の園芸ってやっぱり特殊?】

世界と日本の園芸文化の中世から近代までの比較のお話しは、とても珍しく、初めて聞くお話しでした。大きく分けると、日本の園芸文化は中国の流れから、欧米の園芸文化はギリシャや地中海沿岸部など西アジアの流れからの2つに分けれられます。

そして、江戸時代は、奈良時代安土桃山時代に渡来した植物の数の約2.5倍の240種類の渡来植物があるそうです。すごいです!どこが鎖国だったんでしょう!

日本人は品種改良が得意だったようで、江戸時代の方々が改良を熱心にされたことが、現代の様々な日本の園芸文化に繋がってくるのです。

 

【江戸時代の賑わいが聞こえてきそう】

もともと、いけ花や盆栽は高貴な方々の間で人気があったようですが、徳川三代将軍の花や盆栽好き「花癖(かへき)」という嗜好が大名や旗本に伝播(でんぱ)し、当時の参勤交代という制度が相まって、植木屋も誕生、徐々に庭園都市を醸成したという、なんとも自然な流れがそこにはありました。

さらに、京で形成された文化サロンで、池坊専好(いけのぼうせんこう)が立ち上げた「立花の会(りっかのかい)」によって全国にいけ花が広まっていくことになりました。

 

【そして世界に日本の植物が】

また、シーボルトやフォーチュンなどが日本の植物をヨーロッパに持ち帰ったことも世界に日本の植物が広まったきっかけだったようです。

地域や年代、性別に関係なく、植物に興味があって園芸が好きな人は多かったんですね。

 

【どこまで品種改良。。】

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さて、教室に入った時から気になっていた、講師の脇に並んだ朝顔の苗。(盆栽についてはまだ知識は浅いけれども、さすがに朝顔の苗だってことは、分かります)

これは、江戸時代に盛んに品種改良が行われた流れで、現代でも残っている変わった品種だそうです。現代の変化あさがおには二系統あり、一つは生木系統、もう一つは出物系統だそうです。

先生は、講義中にクイズを出して、正解者にこの珍しいあさがおの種をプレゼントしてくれるという、皆がやる気になる粋なブレイクタイムを設けてくれましたが、結局全員にプレゼントしてくださいました。とても優しいダンディーな先生です。

この翌週末に入谷のあさがお市が開催されたので、行かれた方も多かったことでしょう。

 

【授業後の美術館】

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これぞ、ザ、真柏(しんぱく)!推定樹齢100年、文人木(ぶんじんぎ)という作り方です。

盆栽について全く無知のときは、花が咲く小さな盆栽や、庭木としても大好きなモミジが好きでしたが、色々見ているうちに、この真柏という種類の盆栽に強く惹かれるようになってきました。

いつかは真柏。。と、野望を燃やすのでありました。